落語によく行きます。
年間で大体1日1席計算でLive体験。
まあ週に1.5回ぐらいでしょうか?
“よく行きますよねぇ?”と訊かれます。
まあ、そんなもんかなとも思いますし、全然そんなことないんじゃない?とも…
自分の日々の思考と行動の中に、すでに組み込まれてる感があります。
何がそんなにいいのか?
これも良くわかりません。
ただ、人の話し(噺)を聴くだけっちゃぁそれだけ。
でも頭の中を空っぽにしたり(元々大したもん入ってないし、大したことも考えてない)、聴くこと、体験することによって思考の角度が少し変わったかなと思うことが多少あるぐらい。
昨今、“空前の”落語ブームだそうです。
確かに特に今まで落語会や寄席で見たことの無い層、若い女性が多くなりました。
いいこと?
良いことでしょうね。
落語家さんの数も有史以来もっとも多い東西合わせて800人を超えて来ています。
要は入門者も多い。
そうやって取り巻く環境が変わってくること、これは色んな作用をもたらします。
所謂“ブレイク”と言う感じで人気が爆発する落語家も、今後出るかもしれません。
そのことによって、私のようなちょっとオールドタイマー気味の落語ファンも、落語の観方が変わってくるでしょう。
そうなったときに、ずうっと趣味として付き合えるか?
付き合えないケースもあるんですよ。
趣味とはいえ親身じゃなかったり、ちょっと面白いから齧ったぐらいのもんだと。
でも落語は、どうあれ聞き続けるでしょうね。
まあ普通に言えば、自分と他人というのを話す/聞くの中だけで測る。
これが自分の軸の中に落語のおかげで根付いちゃった気がするので。
別に落語を聴いたから、何かの為になるとか、会社の業績が上がるとか…
まったくないです。
聴かなきゃ聴かないでも死にもしません。
しかも演者(落語家)は違えど、ネタ(演目)は古典なんかの場合、度々同じ。
それでも聴いた後の、自分の中にかすかに残る残像や残心が、感情の揺らぎを濾してくれるような、そんな何かが“気持ちを強く”してくれるような…あえて無理に言えばそんな積み重ねです。
もっと好きな落語家がどうの、とか、具体的な話しもしたかったんですが…
今年のアタマは、かつてよく聴いていた落語家ふたり、
桃月庵白酒と春風亭百栄を何度も観に行き、聴きました。
自分の中でのリヴァイバル?
そうなのか?まあ日程の関係でたまたまか、
まあまあ、そんなこともこれから。
他にも詳しい事例などを知りたい方は、どうぞストリートワイズまでご連絡くださいませ!
(文章中敬称略)
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